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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。抹茶碗 すみれ 中山喜白 茶道具 新品。【佳香】寒川栖豊 紀州焼 那智黒茶碗 裏千家十五代鵬雲斎(汎叟宗室)書付箱 茶道具 本物保証。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。黒茶碗 黒楽茶碗。御室窯 紺交趾 八ツ橋 茶碗 四方桟桐共箱 共布 茶道具 本物保証 金彩。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。平安 与し三 (造) 暦手茶碗 共箱 京焼 茶道具 現代工芸 浅見与し三 昭和五十七年 1982年 美品 z6992a。21374/○杉田祥平 清閑寺窯 色絵仁清流水扇面画 茶碗 京焼 共箱 共布 抹茶碗 茶道具。つまり柏木は決して良い環境にいるわけではないという源氏の君の心境をあらわしている。38◆初荷です ◆茶道具 交趾焼 名工 中村翠嵐 交趾十色四君子数茶碗 ◆共箱 共布 しおり付 定価30万円 綺麗な釉薬です。初代 寒川栖豊 造 紀州焼 那智黒茶碗 共箱。紫式部が「鈴虫」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「鈴虫の巻」を書いていることがわかります。人間国宝 清水卯一 鉄燿白流茶碗 見事な作品 s813。【鯉江良二】秀逸作 焼締茶碗 共箱 保証 14007。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。21832/○三代目 加藤利昇 乾山写 福寿華茶碗 共箱 共布 抹茶碗 茶道具。抹茶碗 柳橋 宮地英香 茶道具 新品。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。抹茶碗 仁清 露草 水出宗絢 茶道具 新品。茶道具 天目茶碗 玳皮茶碗 木製漆器箱 章山在銘 鍍金輪 旧家蔵出し 抹茶碗。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。【茶】清閑寺 杉田 祥平 兜 茶碗 五月節句。K78 聾米造 青木木米 抹茶碗。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。【八八八】清閑寺窯 杉田祥平 造 色絵 御題茶碗 ◆共箱 茶道具 抹茶碗 紅梅 結文 【e-140】。煎茶道具 京焼 昭阿弥 赤絵竹図 五客 煎茶碗 煎茶器 高野昭阿弥 如阿弥。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)の漢詩文の落款が押捺されている。II17-3562[TOM] 淡海ぜぜ 陽炎園 膳所焼 砂肌茶碗 共箱 茶道具 未使用保管品。朝日焼 豊斎 茶摘み籠形 建水 茶道具 美品 321。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。AC30 乾山造 京焼 色絵 四季茶碗 四客 四季花 共箱 未使用 茶道具 茶碗。数茶碗 ■ 尾形乾山風 四季茶碗 秋竹造り [ 図変わり 俳句] 11客 ■ 色絵茶碗 茶道具 木箱入り №9483■。茶会の際に落款に記された由来と内容を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。委託HK◇樂一入 黒平茶碗(茶道具 陶磁器 陶芸 京焼 楽焼 樂家 千家十職 風炉)。【心庵】京焼 橋本城岳 紫野松長剛山 倣黒仁清 扇面草花文 銘「末廣」/茶碗 共箱 共布 TI161。 | |||
自筆の希少価値について | 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。【茶】茶道具 三代 西村徳泉 作 祥瑞写 鶏の図 茶碗。橋本紫雲 色絵 金彩 仁清写 兜文 抹茶茶碗 在銘 紫雲 共箱 茶道具 平安紫雲 N-1。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。21◆初荷です ◆茶道具 伊藤一楽 黒茶碗 銘「吉祥」 ◆大徳寺紫野 長谷川寛州書付箱 共布 未使用美品。茶道具 染付 蓮弁文 煎茶茶碗 五客組 二代 三浦竹泉 青華 京焼 汲出 煎茶。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。抹茶碗 仁清 加藤永真 端午の吊るし飾り 茶道具 新品。F 表千家 永田宗伴 書付 京焼 龍谷窯 宮川香雲 四方茶碗 共箱 未使用品 茶道具。撮影後、展示のために再表装をしております。◆ 京焼 八代 高橋道八 造 仁清写 色絵金菱之図 茶碗 茶道具 ◆。B17207 御本半使 348g:真作。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。[真作]:彩技法!/[楠部彌一・黒茶碗・共布共箱]/文化勲章受章/日本芸術院会員/京都。紫野焼 数印 黒茶碗 五印『銘 庵の友』大徳寺 藤井誡堂書付箱 共布 茶道具。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。《源》【即決・送料無料】茶道具 赤楽 時代物 茶碗/箱付。杉田祥平 色絵流水に楓画茶碗 高台脇に窯印「清閑寺」 共箱 茶道具。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。【和美】通次高山 仁清写 茶碗 共箱 本物保証 稼働具。◇F774 久世久宝 仁清写 秋草茶碗 共箱 抹茶碗 茶道具。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。紫翠窯 三代西村徳泉作 染付雲龍茶碗。【茶道具】未使用品 中村良二(四代:中村秋峰) 色絵内金 ラグビーボール茶碗 四方桟桐共箱 共布 紙外箱 保証品。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。東山深山作 色絵茶碗 夕暮れ蛍。【即決!本物保証】茜窯 岡田華渓 鶴絵茶碗 鵬雲斎 書付 共布 共箱 毎日オークションアフターセール購入品 無傷美品。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【風流庵】 『野点籠揃』 裂地 (天平双華文) ★ 小形 提篭 (茶碗・茶筅・棗・茶杓) 一揃 紙箱。京焼 加藤利昌 染付祥瑞一閑人 汲出碗5客セット 廃釜 人気 希少 茶道具 時代物 古董 茶器 和食器【美品】 nt520622。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。高野清鳳作 染付花鳥煎茶揃 (煎茶道具、煎茶碗)。【涼風庵】檜垣青子 作 黒茶碗 朱釉 共箱 楽茶碗 茶道具 美品。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【和美】二代 中村能久 色絵 筍 茶碗 茶道具 共箱 共布。天目茶碗 油滴 桶谷定一 覆輪付 京焼 人気作家 茶道具 時代物 骨董 置物 飾物 日本伝統工芸品 古美術品 芸術 共箱 和。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。珍品 結界 煤竹 本桑 船杉板 祥桑軒 布共袋 茶道具 紙箱 レトロ 美品 7443 茶道具。加藤利昇 黒釉 芝垣菊 茶碗 共箱 y-393。母は後水尾天皇皇女女二宮。楠部彌弌 美しい線を描く三島茶碗です☆y602。◎ 押小路 庄左ェ門 (おぼこ雛) 抹茶碗。幼名は多治丸。504092 【 ほぼ未使用 茶道具 和楽作 黒楽茶碗 長次郎写利休七種茶碗 栞 共箱 】 検)作家物 煎茶道具 茶懐石 茶湯 茶事 茶器 来客 お稽古ⅰ。【蔵】茶道具 三代 中村道年 作 黒茶碗 「銘 山花」 堀内宗心(兼中斎)書付 栞 共布 共箱 本物保証 Y1332。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。京泉造 茶飲茶碗×5、茶托×5。【真作保証】『真葛香雲』作/色絵扇面図茶碗(書付:裏千家鵬雲斎) <240124053>。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【茶】清水 六兵衛 笹の画 茶碗。美品 京焼 加藤松香作 春の金雲絵 茶碗 金彩 色絵 共箱・共布 茶道具 抹茶碗 茶の湯 茶碗。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている | |||
HP | 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。高取焼 肩衛茶入 喜恵造 茶道具 茶入 茶器 茶碗 香合 未使用品 倉庫保管品 全国無料 焼物。田中啄也 作 吹き寄せ絵 茶碗 共箱 茶道具 保証品 ◆11195YA。 ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。◇F810 十六代 永楽善五郎 即全 仁清写 金銀鶴 茶碗 共箱 抹茶碗 茶道具 ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4.9点 現在、4949件のレビューが投稿されています。 |
自筆「源氏物語」の「鈴虫(すずむし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
日本でも「国立民族学博物館所蔵『源氏物語』鈴虫として画像(カラー写真)が出版されており、出品原本と照合することができます。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現在の今上天皇と系譜がつながっている。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。
出品した「源氏物語」は鈴虫(鈴虫)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。夏、蓮の花の盛りの頃に女三のが持つ持仏の開眼供養が行われた。父・朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇からの心寄せもある。そこへ蛍兵部卿や夕霧が訪れ管弦による演奏の宴になった。冷泉院(前冷泉天皇)は源氏の君の訪問を喜び迎えた。
自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
「鈴虫」の巻は英文で「The Bell Cricket」と表記されます。鈴虫の原文に引用されている。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。》
《御ことに》・・・・・こそ」とて、心もて草のやとりをいとへとも
なほすゝむしのこゑ(聲)そふりせぬなときこえ給ひて、
きむの御琴めして、めつらしく彈(き)たまふ。月さし出(で)て、
いと花やかなる程もあはれなるに、空をうちなかめて、世中さまさまに
つけて、はかなく移りかはる有樣も、おほしつゝけられて、例よりも、
あはれなる音にかきならし給ふ。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」鈴虫の巻》
《「鈴虫の巻」国立民族学博物館に1部現存の原本と同じ「鈴虫」の貴重書
《夏、女三の宮(朱雀天皇の皇女)三条院(三条殿)の邸で持仏開眼供養を盛大に開催》
《女三の宮(朱雀天皇の皇女)の持仏開眼供養に今上天皇からの御布施を下賜》
《女三の宮(朱雀天皇の皇女)と源氏の君、中秋十五夜の六条院で合奏の遊宴》
《宮(女三の宮・朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、声も忍びやかにおっしゃるのが、
まことに優雅で、気品高くおっとりしていらっしゃる。いや、思いがけないお言葉です」》・・・・・
とおっしゃって、
(源氏の君)「心もて・・・・(あなたはご自分からすすんでこの世をお捨てになりましたけれど、
その鈴虫の声のように相変らずお若く美しいのです」
などとお申しあげになられる。
宮(・源氏の君の正室)は数珠(じゆず)を繰(く)る手を
思わずおとめになって、お琴の音にはやはりお耳を傾けていらっしゃる。
今夜は、例年のように中秋のお遊びのお催しでもあるのだろうかと推量して、兵(ひょう)・・・・・
・・《部(ぶ)卿宮(きようのみや)が訪ねておいでになった。女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、御持仏(守本尊)の数々をお造りになってその開眼のご供養をされる。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《The Bell Cricket(鈴虫)》
"Although it has chosen to leave its grassy dwelling,
It cannot, this lovely insect, complain of neglect."
He called for a koto and treated her to a rare concert.
She quite forgot her beads.
The moon having come forth in all its radiance,
he sat gazing up at it, lost in thoughts of his own.
What a changeable, uncertain world it is, he was thinking.
His koto seemed to plead in sadder tones than usual.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
“心世俗,身似虫美音。三公主也停止了数念珠,
听琴声。源氏得明月,
光也很凄凉。
兵部卿王推想今夜六条院内照例必有管弦之会,
便来。
他随着琴声,
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」鈴虫の巻の末尾(原本番号16-A)の押印。冬姫は内大臣・通誠の養女。正式な名は伊達貞子。
左上は、「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の印。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。
2番目の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫(拡大)
3番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために漢詩の「白氏文集」披露したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
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